– オーストラリアの先住民認知と州・テリトリーに関する法律

Tracey Peers
September 13, 2017

オーストラリアのどこで生まれたかによって、連邦政府による住民認知が異なるかもしれません。その結果、国から受けられる福祉レベルに差が生じるのでしょうか?

私は、その当時はオーストラリアの一部だったけれど今は別の国になっている地域で生まれました。さて、私の出生地はどこでしょうか?(答えは最後)今回は、オーストラリアの州とテリトリーに関するお話です。オーストラリアには、自治権を持ち、それぞれの州域・州民に関する法律を制定することができる6つの州があります。州の歴史は、イギリスがオーストラリアへの入植を開始し、植民地を建設したときから始まります。最初に創られたニュー・サウス・ウェールズ植民地がニュー・サウス・ウェールズ州となり、1859年にはクイーンズランドが州になりました。



オーストラリアはさらに、クリスマス島、珊瑚海諸島、ココス(キーリング)諸島などの領域も統治しています。これには、およそ590万㎢のオーストラリア南極領土や2㎢ほどのアシュモア・カルティエ諸島ほか、たくさんの小領域も含まれます。

インド洋にあるココス(キーリング)諸島は、オーストラリアから遠く離れたテリトリーです。2つの環礁から成るサンゴ諸島は、パースの北西2,750 kmに位置しています。27島のうち、人が住んでいるのは2島だけで、現在の人口は約500人です。

ココスマレーは、ココス諸島最初の住民として知られていますが、現在、オーストラリア先住民として認められることを望んでいます。複雑な法的手続きを取る必要がありますが、島民がオーストラリア先住民として認められれば、政府から経済的サポートや職業訓練、英語教育などを受けることができるのです。

ココス人の先祖は、1826年にイギリス商人のアレキサンダー・ヘアともにココス諸島にやって来た98人の奴隷だと言われています。諸島は、1857年のイギリス領有宣言によってイギリス領の一部となり、1955年11月23日、ココス(キーリング)諸島令(1955年)発布により、オーストラリアのテリトリーとなりました。

オーストラリアの連邦政府は、先住民に対して様々な特別サービス・プログラムを提供するための予算を組んでいます。以下がその例です。

  • 補助金(先住民住宅ローン、研究助成金・学習奨励金)
  • 大学課程(先住民学生特別枠)
  • センターリンクと住宅支援(先住民特別)
  • 雇用(先住民特別雇用枠)
  • 先住民学生のための学校プログラム

では、先住民であることをどうやって証明するのでしょうか?

政府機関は通常、アボリジニあるいはトレス諸島の先住民系統であるかどうかを 3つの基準で判断しています。

  • 祖先がアボリジニあるいはトレス諸島系である
  • アボリジニあるいはトレス諸島系として認めらている
  • 住んでいる、あるいは住んでいたコミュニティーにアボリジニあるいはトレス諸島系として認めらている

通常、これらすべての基準に当てはまらなければいけません。容姿や生活スタイルは無関係です。

このように、先住民認知のプロセスは非常に複雑です。それはどうしてでしょうか?

過去の隔離政策と不十分な教育・雇用・保健サービスの結果、先住民の人たちが現在直面している社会・健康・教育問題への取り組みが先住民特別サービス・プログラムです。アボリジニあるいはトレス諸島系であることの確認は、こうした特別サービスが正しく利用されるために行われていると言えます。ココス諸島は、オーストラリア政府がインフラ・地方開発省を通して管轄している7つの領域のうちのひとつです。

では、こうしたオーストラリアの領域に住んでいる人たちと州に住んでいる人たちでは、保有している法的権利の点で違いはあるのでしょうか?

基本的な違いは、領域には独自の政府がありません。連邦法のみで統治されている領域は、オーストラリア連邦政府の直轄です。一方、6つの州にはそれぞれの州憲法があり、州議会が開かれます。また連邦政府の統制下にない問題については、州での法律制定が認められています(オーストラリア憲法第51条による)。州には州政府を率いる州首相がいますが、連邦法だけで統治されている7つの領域にはそれに相当するトップは存在せず、通常、連邦政府が任命した行政官が置かれています。

ココス諸島とクリスマス島の行政官には同じ人が就いています。

このほか、過去のオーストラリアにはどのような領域があったのでしょうか?

よく知られているのは、1975年にパプアニューギニアが独立するまで、パプアニューギニアはオーストラリアの一部だったということです。1906年にパプアが正式にオーストラリアの統治領となり、1920年にはニューギニアがオーストラリアの統治領となりました。

ビスマルク諸島の火山島、ニューアイルランドも歴史的に興味深い地方のひとつです。1616年にオランダ人探検家によって発見され、1914年まではドイツ領の一部だったニューアイルランドは、第一次世界大戦後にオーストラリアの委任統治下に置かれます。そして1975年、パプアニューギニアが独立した際、ニューアイルランドもパプアニューギニアの一部になりました。

こうした州とテリトリーが持つ権限の違いも含めて、日本と異なるオーストラリアの統治形態は日本からの留学生たちにとって、興味を持って学べるトピックだと思います。アベノミクスのもと、日本の留学産業は活気づいているようですが、留学先としてオーストラリアが人気なのはうれしいことです。

MBA法律事務所ジャパンリーガルサービスは長年に渡って、日本の留学産業を応援しています。現在、阪南大学(大阪)で法律を勉強中の学生が当所での4週間のワークエクスペリエンス・プログラムに参加中です(スポンサー・パートナーは大阪のGlobal Waters www.karen-san.com)。また、先月私の家は、八尾市(大阪)から来た高校生のホストファミリーになりました。

さて、冒頭のクイズの答えです。私はニューアイルランド島のカビエンという街で生まれました。今日の世界で、最も地震活動が盛んな地域のひとつとして知られている場所です。1975年にパプアニューギニアが独立するまで、カビエンはオーストラリアの保護領の一部でした。

本記事の筆者は、MBA法律事務所 監督パートナーの弁護士ミッチェル・クラークです。


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