インディジネス・アーティストの法的勝利
オーストラリアで最も有名なアボリジナル・アーティストといえばアルバート・ナマジラ、であることにほぼ間違いありません。1902年生まれのナマジラは、1940年代に水彩画家として人気を博しました。彼は、オーストラリア大陸中央部の壮大な景色を鮮明な色彩と穏やかな明度で描写しました。
ナマジラによる、穏やかなトーンのピースフルな風景画とは正反対に、その著作権をめぐって長編物語のような争いが起こっていました。
ナマジラの絵画の著作権については、ナマジラの子孫たちが白人経営の美術出版社、レジェンド・プレス社と争っていました。シドニーのノースショアを拠点とするレジェンド・プレス社は2度の法的取引を通して60年もの間、ほぼ、あるいは完全にナマジラの著作権を有していました。
ナマジラの子孫と出版社の争いは、オーストラリア史上最も感情的で議論を呼ぶ著作権争奪合戦となりました。
最初の法的取引は1957年にまで遡ります。ナマジラは、オーストラリアの市民権を得たのですが、その3週間後に彼の版権のほとんどを、レジェンド・プレスの美術品ディーラーであるジョン・ブラッケンレッグに10ポンドで売却してしまいました。
この取引には利点もありました。例えば、レジェンド・プレス社はナマジラの作品をクリスマス・カードやカレンダーとして複製したので、インディジネス・アーティストのナマジラの絵がオーストラリアの家庭でとても親しまれるようになりました。一方で、この著作権取引は“搾取的”と批判されることもありました。なぜなら、ナマジラの識字能力が完全ではなかったからです。
2回目の著作権取引は1983年に起きました。ノーザンテリトリー公益信託がナマジラ・ファミリーの同意を得ずに、ナマジラ作品の著作権のすべてをレジェンド・プレス社に8,500ドルで売却してしまいました。
1959年、アルバート・ナマジラはに悲惨な状況で亡くなりました。1983年の著作権取引以来34年もの間、ナマジラ・ファミリーは有名な祖先の美術作品が複製されても、1セントも得ることができなかったのです。
しかし先月、歴史的快挙が起こりました。レジェンド・プレス社がナマジラの版権をナマジラ・レガシー・トラストに譲渡したのです。この新組織は、アルバート・ナマジラの子孫と大陸中央部にある彼らのコミュニティーの利益を代表しています。
今回の著作権譲渡はたった1ドルで取引されました。何十年にも渡ってレジェンド・プレス社が断固保有し続けていた著作権は放棄され、ナマジラ・ファミリーとの係争は終わりました。これによって、息をのむほど美しいナマジラの風景画は世界でより広く親しまれることとなるでしょう。今回のことで、画家ナマジラのドキュメンタリーや本の製作も今後期待されます。