つい先日まで『ホイッスラーの母』がオーストラリアを訪れていました。
つい先日まで、『ホイッスラーの母』がオーストラリアを訪れていました。メルボルンのビクトリア国立美術館で、世界で最も有名な肖像画の一つである“画家の母の肖像”(1871年)の展示があったのです。アメリカ出身のジェームズ・ホイッスラーは、後半生をロンドンで過ごしますが、彼の作風は印象派に傾き、当時アジア貿易で人気があった日本美術などの影響も受けながら抽象的な絵画も描きました。139年前の7月、ホイッスラーは英国の著名美術評論家ジョン・ラスキンを名誉毀損で訴えました。これは、美術史において最も有名な裁判として知られていますが、いったい何が起こったのでしょうか?
ロンドンに新しくできたギャラリーの開場記念展に出品された、ホイッスラーの“ノクターン”シリーズの一作品について、ラスキンは“ホイッスラーは公衆の面前に一瓶の絵の具を投げつけることで200ギニーを要求している”と酷評、扇動的に批判しました。こうしたラスキンの批評は、モダンアートの始まりと言ってもほぼ間違いない、印象派スタイルの絵画(モダンアート)を詐欺として拒絶するものでした。問題の絵画は、キャンバスの大部分が墨色で、夜のテムズ川で打ち上げられた花火の落下する火花のイメージ(中には官能的と表現する人も)が描かれていました。
美術史家はこの裁判をトラディショナルアート(描かれた題材が細密で明確)とモダンアート(特定の題材よりも構図や調和を重視)と争いと捉えています。ホイッスラーはラスキンに対して、当時の価値としては莫大な額1,000ポンドと訴訟費用の支払いを求めました。ホイッスラーの弁護士は“絵画は絵画でしかなく、大切なのは形式的構図と調和であり対象ではない”と述べました。それに反してラスキン側は“芸術は道義的な力を持つべき”と主張しました。審理では、評論家の権利と義務についても法的論争となりました。例えば、絵画に対して否定的な感想を持ったとしても、評論家は本音を自由に表現しても構わないのか、など。
また、審理中に交わされた有名な質疑応答があります。ラスキン側の法廷弁護士がホイッスラーに“knock off a picture”(=絵を急いで描き終える)という口語表現を使って “この絵はどれぐらいかけて仕上げたの?”と聞きました。これは、ホイッスラーのプロの画家としての評判を落とすことや、そもそもホイッスラーから訴えること自体、不合理では?と陪審員に思わせることが狙いでした。
ホイッスラーが2日間で完成させたと答えると、ラスキンの弁護士は、たった2日間の労力に200ギニー(当時としては高額)もチャージする(絵画の値段)は法外だと述べました。
ホイッスラーの勝訴で裁判は終了したものの、陪審員がラスキンに命じた賠償額は、当時使用されていた最小の硬貨1枚分(=1/4英ペニー)だけで、ホイッスラーが負った訴訟費用のラスキンによる支払いは命じられませんでした。ラスキンについては、彼の友人たちが訴訟費用を負担したのですが、一方でホイッスラーは訴訟費用のため破産に追い込まれました。
裁判沙汰になったホイッスラーの絵画、ノクターン・シリーズは、メディアによる風刺画でも取り上げられ、売買不可となりました。ラスキンは多額の賠償金の支払いは避けられたものの、評論家として正しいと信じてやっていることが、イギリスの法制度によって拒否されたことを理由に、オックスフォード大学での教授職を辞任してしまいました。
実際にホイッスラーがラスキンを訴えたように、批評は裁判にまで発展します。 “評論家の義務を考えてください。評論家として大事なことは、表現する強さを備えることではありません。”判事のこの言葉で、上記判決に至った理由がわかりますよね。